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9月9日正午頃、沖永良部島に無事到着しました。フェリーから車で島に降りると、真っ青の空、眩しい太陽の光に、「帰って来たんだ」という実感が徐々に湧いてきます。照りつける太陽は、大阪とは比べものにならない程強い光です。この太陽の下、「農業」に取り組んで行きます。
昨晩は、島の同級生と再会し、杯を交わしました。いつもならば、思い出が話題の中心ですが、今回は、ジャガイモの育て方、畑の手入れの仕方が話題の中心です。多くの事を学び、これからの新しい道で支えとなってくれると思います。本当に心強い味方です。

奄美大島で用事を済ませ、今日は、加計呂麻島で道草してます。奄美大島の最南までいき、フェリーで島に渡りました。ネットで適当に砂浜近くの宿を取り、チェックインし、そのペンションのレストランに入り、なぜか懐かしい感覚を覚えました。十数年前、無人島キャンプ作戦に失敗し、その後、訪れた加計呂麻島で夕食を取った場所です。十人くらいで、生バンドに合わせて踊った楽しい記憶が戻って来ました。偶然にしては、ちょっと運命的?でしょうか。共に旅した中野さんは元気にされているでしょうか?
宿泊する部屋は、コテージになっており、砂浜まで数メートルという最高の場所にあります。あまりのシチュエーションに、一人はもったいないな、とつぶやいてしまいました。海で暫しの泳ぎ、シャワーで疲れを流して、いま懐かしいレストランでビールを飲んでいます。 明日、自転車で島を巡り、そろそろ沖永良部島行のフェリーに乗りたいと思います。

9月4日
夕方6:20に、大阪南港かもめ埠頭から、船で出発しました。17年住んだ街を離れるという現実に、まだ実感がわきません。ただ、見送りに来てくれた二人がいるという事が、私の肩を叩いてくれました。六甲の山に美しい夕陽が沈んでいきます。別れの前に、船の中で暫しのお別れ会を開いてくれました。コンビニで買って来たビールとつまみで乾杯、冷えたビールが極上の美味しさでした。思い出に残る送別会です。その二人が、港で懸命に手を振る姿に涙が溢れて来ます。二人の姿は、徐々に小さくなり、そして停泊している大型フェリーで隠れるまで懸命に手を振り続けていました。遠い場所まで見送りに来てくれて有難うございました。 
大阪湾から見る街は、静かで落ち着いていました。17年間、この街で生活してきました。多くの人と出会い、多くの人と共に働き、多くの人と酒を飲み、そして多くの人に充実した時間を頂きました。24歳
〜42歳という青春時代は、楽しく、辛く、大変であり、充実したものでした。ここで築かれた宝物を大切にしながら、これから精一杯、自分が選んだ道を歩んでいきます。
お世話になりました皆様、有難うございました。
これからも、宜しくお願いします。
 (現在、種子島と屋久島の間を航行中です)

昨日、荷物を全て沖永良部島に送りました。
ほとんど準備をしていなかったので、一昨日は、徹夜での荷造りとなりました。段ボールで41個の荷物を送り、その後、部屋に残った物を廃棄処分、今、部屋は空っぽです。いろんな引越し屋と交渉して、当初50万くらいの予算といわれた引越し代が、10万ちょっと、だいぶ安くなりました。引越し屋さん、ありがとうさん、お疲れ様でした。
公共料金の停止、住民票の移転等も終わり、明日、不動産屋とマンションの今後の管理について打ち合せて、多分、ほとんどの手続きが終わると思います。
明日、船に乗り、まずは奄美大島に向かいます。居酒屋「たか」の親父に挨拶と、そうそう、年賀状のおっちゃんに会う予定です。2〜3日の滞在となります。

※パソコンが手元に無いので、iPadで更新しています。写真や動画での更新がうまく出来ず、しばらくは、文字情報のみで更新していきます。

 8/30が、送別会最後の日となりました。
多くの方に送別会を催して頂き、多くの方に支えられてここまでやってこれたとその重みを感じました。人と人の繋がりのその重みは、何ものにも例えられない大切な重みです。その気持ちを大切に、新しい道を歩んでいきます。
 最後の送別会の店は、最近足が遠くなっていたのですが、営業時代に通っていたお店です。繁華街を外れた周りに飲食店の無い場所に一軒のみポツリとあります。明かりが足元を照らしているだけのお店の店構えです。知らないとお店とは気づかないと思います。最後に、技の効いた美味しい食事を頂きました。有難うございます。
私も、もう「電通」という看板を下ろしました。これからは、一人の力で生きていかねばなりません。この店のように大きな看板が無くとも、その技に魅せられて人が集まるようなそんな生き方をしていきたいと思います。
今週末、船に乗って故郷の沖永良部に帰ります。
有難うございました。

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