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 ジャガイモの植付がピークです。11月23日~12月8日まで沖永良部に滞在しジャガイモの植付をしましたが、天気に恵まれず、その間に植え付けられたのは、4日間でした。4日間で約3.0トンを植え付けましたが、あと1トンを植え付けないといけません。農家は、やはり天気には逆らえません。ただ、ただ天気が良くなることを待つしかありません。天気がよくなりますように。
 雨もそうですが、ちょっと気になるのが、12月に入っても23,24度と暖かい日が続きました。本州では、雪も降り冬が到来しているようですが、こちらでは、4、5日前に蝉がまだ鳴いていました。この暖かさと雨の影響が作物にどう出るか心配です。耳をすまし、目を凝らし、肌で自然を感じてみたいと思います。
 
 さて、ジャガイモの植付をするに当たり、種イモを3個、4個に切り分けないといけません。約4トンもの種芋を一つ一つ切っていきます。その作業も結構大変です。近所の方、親戚が手弁当で手伝ってくれます。ツルおばあちゃんは、御年90歳、My 包丁を持参し、むしろ我々より作業が早い。驚きです。こうやっていつまでも元気に働き、そして働く事を楽しんでいます。とてもとても、頭が下がります。

ジャガイモ栽培は、今年で2年目、昨年に負けないいいジャガイモを収穫できるよう、頑張ります。

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  11月17日、一橋大学の公開講座の講師という大役を、何とか終了いたしました。約一時間、自分が農業で勉強していることを発表しましたが、そのストーリーは難しく、ちょっと間接的な言い回しになったこと、わかりにくいこともあり、反省しました。まだまだ勉強しないといけません。ただ、無事終了したことに、ホッとしました。ご来場いただいた皆様、温かいお声掛け、本当にありがとうございました。
 1泊2日で沖永良部に戻る予定でしたが、どうしても行きたい場所があり、もう一泊して、訪問してきました。そこは、東京・町田市にある旧白洲邸「武相荘」、その生き方、その考え方、そのスタイリッシュな姿に、尊敬してやまない白洲次郎さんと白洲正子さんのご自宅です。 武相荘は、敗戦色濃い1943年に当時東京・鶴川村の農家の古い瓦葺屋根の屋敷を購入し、そして、生涯の居として両夫妻が住んだ日本家屋です。日本家屋の温かさ、木の温もり、道具への愛着、何か懐かしい感覚に包まれる空間です。
 そして、第2ギャラリーを訪れると、そこには白洲次郎さんが、戦後活躍された舞台の思い出の品々が展示されています。憲法改正草案時の品、サンフランシスコ講和条約の調印式の品、政治に対する言葉、GHQ・最高司令官マッカーサー元帥に贈られた椅子のレプリカ、手紙のやり取り等が展示されています。 少し黄ばみかかった紙の色、インクの滲みが戦後当時からの時間を感じさせます。
 GHQ から「従順ならざる唯一の日本人」といわれた白洲次郎氏。彼の交渉のおかげで、サンフランシスコ講和時に琉球諸島、奄美諸島、小笠原諸島等の施政権返還を内容に入れさせることができました。もし、それがなければ、琉球諸島、奄美諸島、小笠原諸島の歴史は変わっていたのかもしれません。
 いま日本は、大きな岐路に立っています。TPPとFTAAP、アメリカと中国の関係、普天間基地問題、エネルギー問題、経済復興問題。それぞれが複雑に絡み合います。民主党の沖縄普天間基地での政治的失敗は、アメリカとの外交交渉においても大きな影響を与えています。この日本の大変な状況な時、白洲次郎氏はどう判断し、どう解決の方向を見出していくのだろうか?教えてほしい気がしました。
  彼のように、日本の立場をきちんと交渉のできる日本人の出現を、強く、強く、祈っています。

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 やっとジャガイモの準備を始めました。他の農家は、専用のジャガイモ畑を夏に畑のこしらえをしていますが、私のジャガイモ畑は、父の飼っている約30頭の親牛の為の牧草の畑を借りて栽培します。10月でほぼ、牧草を刈り終え、ジャガイモの準備に入ります。これから、トラクターで3回~4回畑を耕し、肥料を播き、ジャガイモを植えていきます。
 昨年は、発酵液での液肥散布が、味・大きさにとても効果がありました。今年も、更に発酵液について勉強し、発酵液を散布してみたいと思います。
 あともう一つが、夏に読んだ『月と農業』を参考に栽培してみたいと思います。16世紀に、こつ然と姿を消したマヤ文明の存在した中南米の農民に脈々と伝わる農法です。月の満ち欠けに合わせて、栽培を行うという農法です。月の引力を考えると、科学的かもしれません。播種、雑草管理、追肥、液肥散布、収穫の作業を月齢に合わせて、ジャガイモを育てていきます。
 来年春の収穫に向けて、美味しい、美味しいジャガイモをお届けするため、丹精込めて作っていきたいと思います。

ジャガイモに液肥散布する発酵液です。

※大学と農業の合間に、東京・竹橋で講演をすることとなりました。
もしお時間がある方は、拙い講演会となると思いますが、お越しいただけると幸いです。
日時:11月17日(木) 18時~
演題:「広告代理店マンから農家への転身―沖永良部島で農業を考える」
場所:東京・一ツ橋 如水会館2階 地下鉄東西線「竹橋」から100メートルほど
  :入場料無料です。申し込み不要です。一橋大学卒業生だけでなく、一般社会人向けの公開講座です。
   詳細は、→こちらをご参照ください。
    
アクセスマップ

タイでは、田舎に行くとほとんどタイ語しか通じませんでした。タイ滞在中は、ラオス出身の留学生Inpong君が、私の世話役として英語でタイ語の通訳をしてくれました。朝から晩まで、常に一緒です。お陰様で多くのタイの農家の方とのコミュニケーションに何の不自由も感じませんでした。そんな状況に、タイで私が使うタイ語は、サワディカップ(こんにちは)、コップンカップ(有り難う)、アロ~イ(おいしい)、トムヤンクン、トゥクトゥク(観光タクシー)くらいです。あまりのWordの少なさに、サワディカップの代わりに、「トムヤンクン」や「トゥクトゥク」とわざと間違えて、笑いを取りました。特に「トムヤンクン」は、村の皆さんに受け、よく笑いが取れました。
 Nonghee Villageは、私が農家にホームステイでお世話になった村です。多くの村人が、日本から来たオッチャン学生を大歓迎してくれました。ホームステイでお世話になった農家で、最後の食事です。昼食前、農家のご主人が村の人と車に乗って出かけます。「どこに行んですか」と聞くと、今日は午前中、川に行ってくる、と出かけて行きました。 我々は、他の農家へ調査を済ませて、昼食前に家に戻ってきました。
 帰ってくると、台所からはいい匂い。台所をのぞいて何を作っているのか聞くと、「トムヤンクン」。そして「トムヤンクン」の「クン」の意味は、「エビ」。農家の主人は、籠いっぱいの生きた手長エビを抱えて帰ってきた。地元の漁師から買ってきたそうである。
 温かな、最高の「トムヤンクン」です。

 

9/2~9/24のタイ・コンケン大学での交換留学生の研修を無事終えて、昨日帰国しました。3週間という短い期間でしたが、内容の濃い研修でした。9/23には、この研修報告の英語でのプレゼンテーションを行い、そして農学部 学部長の
Dr.Anan polthanee氏から修了書の授与があり、研修を終了しました。
 私の訪れたKhon Kaenは、タイの東北地方にある地域です。さすが農業大国、どこに行っても野菜や果物、肉類等の食料が豊富です。市場では、新鮮な野菜が常に山ほど積まれて売られています。タイの農村で行われたセミナーで、タイのお坊さんがこう話をしました。
「食べ物は、人が生きる土台である。まずはその豊かな土台をしっかり作ること、その土台をしっかり築くことは、その国に住む人々が豊かで幸福に生きる土台を築くことである」
 タイのGDPは、日本の17分の1、日本のほうが物質的な豊かさはあるが、タイの農村でみた人間味あふれる表情と幸福感を忘れられない。
コンケン大学のニュースでの紹介:こちらをクリック:

農学部 学部長のDr.Anan polthanee氏から修了書の授与

久々の緊張、英語で約40分のプレゼンテーション

大変お世話になったラオスからの留学生Inpongさん

大学で巻き寿司をみんなで作りました。InpongさんとKyさん

ラオスの首都・ビエンチャンまで足を延ばす。オーガニック市場にて。あふれる野菜、果物、穀物など。

ビエンチャンから更に車で40分ほどの小さな村の市場。ここも豊富な食材があふれかえっている。

Khon Kaenから車で約一時間のNonghee村の昼食風景。どこからともなく人が集まってきて約10数名でも昼食。家の前を村人が通るたびに主人が大声で「昼食を食べていかないか」と声をかける。いつも食べきれない量の食事が用意される。

村での農業研修セミナーでの昼食風景。村の主婦の手つくり料理が、ふるまわれた。

カモも養殖しています

一日は農家でホームステイ。夜も人が集まり、遅くまで懇親。

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