大変ご無沙汰しております。失礼しました。
今日は、沖縄に滞在中です。猛烈な台風16号の接近に戦々恐々という気分です。
9月に入り、沖永良部島は晴天続きでした。地球温暖化がのせいでしょうか、もともと四季がはっきりと分かれていない気候なんですが、最近思うのは、まるで熱帯地方の気候のようで、乾季と雨季しかないようです。7月から11月からは、ほとんど雨は降らず、降るのは台風時くらい、あとは晴天が続きます。そして12月から梅雨明けまでは、雨が降り続きます。明らかに私が中学まで過ごしていた島の気候と変わった気がします。
さて、沖縄に住んで約一年半が過ぎようとしています。沖縄に住み、思うことが一つあります。日本人が経験し敗戦した戦争の時間的距離の感覚の違いです。私が生まれ育った沖永良部島を含む奄美諸島も終戦から1953年12月25日までアメリカ占領下の期間が8年間ありました。昭和53年、復帰30周年の記念事業が行われたことを覚えています。ただ、当時小学校3年の私にとって、戦争は遠い過去という感覚でした。そして今年、沖縄で復帰40周年を迎えました。沖縄で感じることは、戦争は決して遠い過去ではないということです。約35年前に遠いと感じた戦争が、沖縄に住んで、目の前に突き付けられた感覚です。戦争で多くの住民の命を奪われ、戦場となり荒廃しつくした土地に再び家を建て、同じ場所に街を作り、そしてここまで復興してきました。しかし、終戦後まもなく、アメリカ軍に基地として多くの土地を奪われました。ネットで沖縄上空からの衛星写真を見ると、アメリカ軍の基地と、沖縄の住民が住む地域は、そこに国境の線が引かれたように一目瞭然です。アメリカ軍は、まるで広大なアメリカ本国と変わらないように沖縄の土地を利用しています。1995年、米軍兵の少女暴行事件、2004年、沖縄国際大学ヘのヘリコプター墜落事故など、沖縄でアメリカ軍がかかわる事故、事件は、後を絶ちません。沖縄に住むと、アメリカの行動には、まだ日本に対し、敗戦国という認識が、無意識であれどこかに潜んでいると感じます。日本とアメリカの外交をみると、その関係は依然続いていると考えざるを得ません。私が感じた時間的相違は、アメリカ軍がまだ、沖縄に存在することが理由であり、また、戦争とその後の日米関係において沖縄に深い犠牲があることを意味していると思います。
一方、確かに沖縄がアメリカ軍の基地にかかわる経済、日本からの補助金などの経済的利益を受け取っていることも確かです。その恩恵を被り生活する人々、それを頼る企業が多く存在します。沖縄は本当にアメリカの基地を経済的面からゼロにできるのでしょうか?基地の存在による経済の恩恵は、莫大です。それを棄て、新しい産業を作り出すには大きな力が必要です。今占領されているアメリカ軍の広大な土地を活用し、新しい産業を生み出すことが可能でしょうか?
沖縄には、琉球の衣食住、舞踊や祭りなどの文化がまだ生活に色濃く残っています。アメリカの基地の恩恵を切り離し、その文化を大切に守り、継承し、質素でも心豊かな生活を実現することが、沖縄の本来の姿だと思います。戦場と化し、多くの犠牲を出した沖縄が、アメリカとの戦争に本当に終わりを告げ、平和な生活を取り戻す真の姿だと思います。沖縄が、アメリカとの戦争に終止符を打ち、本当の平和な生活を取り戻す日が一日でも早く実現する日を切に願っています。
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