4月に琉球大学に入学し、沖永良部島と沖縄を毎週往復する日々を過ごしています。沖縄に滞在中も、何故かあるコミュニティFMを聞いています。最近は、RADIKOのように電波が届かなくても気軽に、ラジオ番組を聞けます。すごい時代ですね。そのコミュニティFMは「あまみFM」という奄美大島・名瀬にあるコミュニティFMです。そこから流れている音は、まさに奄美大島の音です。あまみのなまり、方言、奄美の音楽、奄美の生活、番組の中には、奄美のおばぁとパーソナリティのトーク番組もあり、多分、奄美出身以外の方には全くわからない言葉が流れています。奄美大島は、沖永良部島から徳之島を挟んで北東に約180kmに位置する島です。言葉、音楽、文化等違いはあるのですが、同じ文化圏内ということでしょう、その音は、何か懐かしい感じです。

 あまみFMホームページ→
           
      http://www.npo-d.org/pc/

   あまみFMから流れた音楽で心に残る歌を一曲紹介します。
歌手:城南海 「 アイツムギ」、作詞作曲は、川村結花さんです。

昨日、沖永良部島の母校・城ヶ丘中学校の開校記念式が開催されました。
そこで、生徒に講演をしてほしいという依頼があり、講演会をさせていただきました。
全校生徒58名の小さな中学校です。

「生徒に、何を伝えられるか、」正直不安はありましたが、もし何か子供たちの力になればという想いから、講演をさせていただきました。
今までの経験した仕事で自分が人生について学んだことを、かみくだいてお話しさせていただきましたが、ちょっと難しかったかもしれません。
約40分ということでしたが、10分ほど時間をオーバーしてしまいました。失礼しました。
自分にとっては、育ててくれた母校で講演会をさせていただく機会を頂くことが、幸せなことと思います。
つたない講演会でしたが、聞いていただいた、生徒58名、先生方、父兄の皆さま、PTAの皆さま有難うございました。

講演会で紹介する予定でした「おおきな10円玉」をこの場で紹介させていただきます。

「大きな10円玉」 昭和50年生(宮崎県)
           小林 まゆ

この話は、叔母から聞いた話です。
叔母の知り合いの女性に、女の子供がいます。その子は、生まれながらにして、知恵おくれでした。幼稚園は、近所の子供達と一緒に、通っていたそうですが、小学校にあがると、ちょくちょく学校を休むようになって、とうとう、一年生が終わるころには、まったく学校に行かなくなったそうです。二年生になっても、三年生になっても、その子は、学校に行こうとはしませんでした。そして四年生にあがるころ、その子の父親と、母親とで話し合って、中学にあがるまで、養護学校にあずけることになりました。養護学校には、寮みたいなものがあって、勿論、家に帰ることはできません。
 四年生ではいったその子は、一年生の学習から始めなければなりませんでした。専門の先生が、一対一で、主要教科を一年生の問題から、丁寧に教えていきました。その日習った新しいことを、毎日毎日、その子は母親に電話で報告しました。覚えた漢字も、たくさんになると、少し難しい本も、読めるようになりました。ほんの少しずつではありましたが、一年間で、その子は、たくさんのことを学び、覚えてゆきました。
その子をずっと教えてきた先生が、ある日、算数を教えようとした時のことです。その問題は、お金を例にあげた問題で、先生は

「ここに500円玉、100円玉、10円玉、三つのお金があります。どのお金が一番大きなお金ですか?」

とその子に質問しました。するとその子は

「10円玉」

と答えるのだそうです。先生は、

「500円玉なのよ」

と教えましたが、同じ問題をくり返すと、どうしてもその子は、

「10円玉」

と答えてしまうのです。何度も何度も教えても、やはり答えは、10円玉だったので、先生は、

「500円玉と10円玉は、500円が、たくさんの物が買えるのよ。だから一番大きいのは、500円でしょ?」

と言うのですが、その子はどうしても違う、10円玉だと言うので、先生は、

「それでは、10円玉の方が大きい理由をいってごらん」

と言ったそうです。すると、その子は

「10円玉は電話ができるお金。電話すると、お母さんの声が、聞けるのよ」

そう言ったそうです。

生徒に人気のあったCM

最後に紹介したCM

 収穫を終え、一ヶ月が経とうとしています。農家として、初めての収穫を終え、ホッとしているというのが今の気持ちです。多くの方に、励ましの言葉を頂きました。ありがとうございます。
 農家は、畑という大地の力をかりて作物を収穫します。今回、5つの畑でジャガイモを栽培したのですが、その畑、畑でその出来は違います。同じように手入れをし、育てても、収穫物は畑によって違っていました。まさに、作物を作っているのは畑の力だということだと思います。
  本日、大学院の授業で学んだ『畑をみがく』という言葉に強く共感しました。(共の思想 : 農業問題再考 磯辺 俊彦)
農家は、畑を何度も耕し、雑草を取り、畑に肥料を施し、そして、それでも状態が悪い場合は客土をする(新しい土を持ってくる)、それが、「畑をみがく」ということ、「畑はみがけば、みがくほど、いい作物を作ってくれる」。
今年のジャガイモの出来に満足することなく、今年の秋までに、「畑をみがく」ことに精を出したいと思います。
今後とも、末永くよろしくお願いします。

追伸:ホームページでのジャガイモの販売は、約一ヶ月と短い期間でした。せっかくお問い合わせいただいたのに、お届けできなかった皆様には、大変ご迷惑をおかけしました。申し訳ございませんでした。

以前このホームページでも紹介しましたが、一昨年秋、「永遠の0(ゼロ)」を読み、特攻という事実を深く考えました。どうしても、鹿児島県知覧町にある『知覧特攻平和会館』を訪問したくなり、昨年3月末に一人、知覧を訪れました。ちょうど桜の咲く季節で、穏やかな春の日差しの下、桜が美しく舞う中、大きな衝撃をずっしりと受け記念館を後にした思い出があります。

そして今回、facebookで紹介された一冊を読みました。ノンフィクッションです。アメリカで生まれた日系二世、松藤大治氏の23年という短い生涯です。十五才のときに、アメリカからひとり両親の故郷福岡県・糸島に帰国し、糸島中学から東京商科大学(現在の一橋大学)に入学、「日本とアメリカの間を結ぶ」外交官を目指していました。しかしながら、戦争はその有望な青年の運命を大きく捻じ曲げ、日本人として零戦に乗り、沖縄の海に向かわせます。日本人が起こした戦争というものがなんとも非情なものか、無念でたまりません。65年という月日は、その事実を人々の記憶から少しずつ消し去ろうとしていましたが、作家門田隆将氏の力により、再び、その魂を感じることができたと思います。

※偶然にも昨年春、松藤大冶氏が卒業した糸島中学校のある福岡県糸島を訪れています。まだ穏やかな山々と海のある美しい街です。

 4月末でジャガイモの収穫を無事終了しました。
雨の天気予報に、慌てて人を雇い、収穫のピッチを上げてジャガイモを掘りをしました。
一日約2トンの収穫のペースです。無事4月中に収穫できたこと、お天気の神様に感謝です。

 また、ホームページからも多くの皆さまにご購入いただきまして有難うございます。
「インカのめざめ」は、栽培を失敗し、せっかくご注文を頂いた皆さまのお手元まで、お届けできなかったことを
あらためてお詫びいたします。すいませんでした。来年は、必ず立派なジャガイモを育て、皆様にお届けしたいと思います。宜しくお願いします。

 メークインについては、初めての挑戦でしたが、自分で満足のいくジャガイモが収穫できたと思います。
ただ、途中多くの失敗を繰り返したことは確かです。それを、沖永良部の土、自然が助けてくれました。
今年の失敗を繰り返さないよう、来年は、更に進化した「伊村農園のジャガイモ」を皆様にお届けできるよう
精進したいと思います。今後ともよろしくお願いします。   

2010年10月 植え付け前

2010年11月 植え付け終了

2010年12月 発芽

2011年1月 培土作業

2011年1月 防風ネット準備

2011年1月 防風ネット終了

2011年3月 天気にも恵まれ順調に成長

2011年4月 収穫です(ジャガイモと、光り輝く太平洋、好きな写真です)

伊村達児作コロッケ、ちょっと揚げ過ぎましたが,美味い!
レシピはこちら→http://cookpad.com/recipe/1359192
 


※ジャガイモの販売は終了しています。悪しからずご了承ください

© 2024 伊村農園 Suffusion theme by Sayontan Sinha