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  11月17日、一橋大学の公開講座の講師という大役を、何とか終了いたしました。約一時間、自分が農業で勉強していることを発表しましたが、そのストーリーは難しく、ちょっと間接的な言い回しになったこと、わかりにくいこともあり、反省しました。まだまだ勉強しないといけません。ただ、無事終了したことに、ホッとしました。ご来場いただいた皆様、温かいお声掛け、本当にありがとうございました。
 1泊2日で沖永良部に戻る予定でしたが、どうしても行きたい場所があり、もう一泊して、訪問してきました。そこは、東京・町田市にある旧白洲邸「武相荘」、その生き方、その考え方、そのスタイリッシュな姿に、尊敬してやまない白洲次郎さんと白洲正子さんのご自宅です。 武相荘は、敗戦色濃い1943年に当時東京・鶴川村の農家の古い瓦葺屋根の屋敷を購入し、そして、生涯の居として両夫妻が住んだ日本家屋です。日本家屋の温かさ、木の温もり、道具への愛着、何か懐かしい感覚に包まれる空間です。
 そして、第2ギャラリーを訪れると、そこには白洲次郎さんが、戦後活躍された舞台の思い出の品々が展示されています。憲法改正草案時の品、サンフランシスコ講和条約の調印式の品、政治に対する言葉、GHQ・最高司令官マッカーサー元帥に贈られた椅子のレプリカ、手紙のやり取り等が展示されています。 少し黄ばみかかった紙の色、インクの滲みが戦後当時からの時間を感じさせます。
 GHQ から「従順ならざる唯一の日本人」といわれた白洲次郎氏。彼の交渉のおかげで、サンフランシスコ講和時に琉球諸島、奄美諸島、小笠原諸島等の施政権返還を内容に入れさせることができました。もし、それがなければ、琉球諸島、奄美諸島、小笠原諸島の歴史は変わっていたのかもしれません。
 いま日本は、大きな岐路に立っています。TPPとFTAAP、アメリカと中国の関係、普天間基地問題、エネルギー問題、経済復興問題。それぞれが複雑に絡み合います。民主党の沖縄普天間基地での政治的失敗は、アメリカとの外交交渉においても大きな影響を与えています。この日本の大変な状況な時、白洲次郎氏はどう判断し、どう解決の方向を見出していくのだろうか?教えてほしい気がしました。
  彼のように、日本の立場をきちんと交渉のできる日本人の出現を、強く、強く、祈っています。

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